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あれから16年・・・

どーも。てんちょーです。

早いもので

あの阪神大震災から早16年が経ったがやねぇ。

毎年この日になると

色々と考えさせられる。


普通の生活、普通の毎日。

実はこれが一番幸な事やと思う。

でも人間は欲の動物。ついつい普通である事に

不満を持ってしまう。

目が見える  音が聴こえる  歩く事ができる

普段当然のようにしている事が

できない人から見れば全て奇跡

人間は奇跡の塊。

普段、そういう事に対し感謝の気持ちを忘れてしまっている。

生きているというのは

本当に素晴らしい

今生きている事 普通である事に あらためて心から感謝します。

そして震災で亡くなられた方々に鎮魂の祈りを。

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かなり揺れたき。

昨日の昼間の地震、凄かったねー!!
てんちょー、丁度昼休みで、娘と一緒にソファでテレビを見よったがよ。
そしたらたまるか「ドンッ!ゴゴゴゴゴゴ・・・」言うて揺れたもんやき
てんちょー咄嗟に娘に覆いかぶさったがよ。けんど隣の部屋で昼寝しよった息子の
所には行っちゃれんかった。その事が1日中 心に引っ掛かる・・・ これがもし大地震やったらと思うたら・・。
 実はてんちょー、阪神大震災を経験したがよ。
もう15年も前になるがやねー。けんどあの日の事は一生忘れん。

てんちょーは18歳で神戸に出て修行しゆがやった。灘区という所に住みよった。
これはある日のてんちょーの部屋。
相変わらず酒だらけやけんど綺麗にしちゅうろう?
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この次の日の早朝、あの震災が起こったがよ。もの凄い音と共に部屋中の物がいっせいに飛び上がった。
布団を頭からかぶる瞬間最後に見えたのは天井近くまで飛び上がったテレビやった。
結構長い時間揺れたと思う。「あー、俺はこのまま死ぬがや。」と生まれて初めて「死」を覚悟した。
と同時に「何で俺が・・」という信じられん気持ちで一杯やった。

何とか揺れが収まって布団から出ようと思うたら体が動かん。腰がぬけて足が何ともならんかったがよ。
けんど暫くじっとしちょったらようやく動くようになって隣の部屋に行ったら・・

こうなっちょった。
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食器らぁ1枚も残らず割れて、写真では冷蔵庫の上に乗っちゅうけんど、20キロもある電子レンジも床に落ちちょったがやき。
ほんでベランダに出てみたらガス臭い。しかも消防車のサイレンと「おじいちゃんが!おじいちゃんが!」
「おい、はよ来てくれや!」と叫び声が飛びかいゆう。あちこちで爆発音が聞こえる。
しかも目の前はこんな状態で、
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下を見たら、

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・・・・。
ひどいろう。
何人も下敷きになって、亡くなった人もかなりおった。
ほんで昨日ばぁの強さの余震が5分に1回ばぁの間隔で起こるがよ。生きた心地がせんで。まっこと。

この時、近所の寿司屋の大将が気を利かせて店の前でラジオを流してくれよったがよ。
みんなぁ戦時中みたいにラジオの前に大勢集まって聴きいっちょった。
この時は「死者は1名です。」じゃち言いよったがよ。
「あー、そうなんや。そんなもんなんや。」
と思いながら近くの海へ様子を見に行ったら・・

!!!!!
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他のとこも
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ほんでさっきの寿司屋の前まで戻ってきたら「死者は100人行方不明200人以上」と言いゆう。
これはやばい。早う安否を実家に連絡せんと親父らが狂いよる。
暫時家に帰って電話をした。もちろん大混線。何回かけても繋がらん。
ついに頭に来て番号の後に「*」ボタンを高橋名人ばりに連打してやった。そしたら「プルルル・・」と言うて
かかるようになったがよ。裏技なのか何なのか知らんけんどこのやりかたで話たい人に殆どかけれた。
親父らは思ったよりも冷静やったけど、おじいちゃんよ。狂いかけちょった。「ワシが神戸に迎えに行くがじゃ」言うてリュックサックに荷物入れて本気で来ようとしちょったらしい。ばあちゃんが難儀して止めたと。
電話で「すぐに高知に帰れ。いかなる手段を使ってでも神戸を脱出せよ。今関西の親戚中に電話をかけておまんを迎えに行かいた。」フーフー鼻息を荒げて喋りよった。他の友達も何人かが神戸まで来ようとチャレンジしてくれたらしい。極めつけは元カノ。嫌な別れ方をして音信不通やった元カノが迎えに行きゆうき死なんとって。言うて泣きもって電話してきた。しかも、迎えに行ってやれと言うたのは新しい彼氏。その彼氏が運転して来る言うがよ。「こんな事に付き合わんでえい。」言うて断ったけんど言い出いたらきかん。
けんど、てんちょー胸が熱うなって暫く泣いた。こんなに多くの人の優しさに触れたがは初めてやったきに。

結局みんなぁ来れんかった。そりゃぁそうよ。道らぁそこら辺で陥没したり割れたりしちゅうし、神戸を脱出しようとする車で大渋滞になっちゅうのに、そこへ自衛隊、消防車、警察車両、救急車がごちゃまぜになって全く身動きが取れんなっちゅうもの。これが原因で火災が延焼したり救命が手遅れになって多くの命と建物が失われたがぜよ。

 隣の部屋の奥さんが「さっきみたいな大きい揺れが来たらこのマンションも危ないから小学校に避難しませんか?」と言うてくれた。
1人で居るのも淋しいし と思い行ってはみたものの、運動場と体育館は既に満杯状態。校舎の中はというと、階段1段ずつに人が座って確保されちゅう状態。
しかもこれ以上来てくれるなとばかりに睨みつけられ、「こんなの無理。」と自宅に戻ってきた。

 夜は想像以上に恐ろしかった。強い余震が起こる度に「バキッ!バキッ!」とコンクリートが割れる音がする。しかも本当に真っ暗闇ながよ。
町の明かりが全部消えたらここまで真っ暗になるがや。と思うたもの。音はヘリコプターとサイレンと爆発音が絶えず聞こえる。それと余震の
ゴゴゴゴゴ・・・という不気味な地響き。そんな夜中に向かいのマンションが爆発して燃え出したがよ。これにはさすがに参ったぜ。ここら辺りから
てんちょーの精神状態が不安定になってきて「もうえい。もうどうなってもかまん。」いうて布団にもぐっちょったがよ。

事態が好転し始めたのは次の日の夕方やった。突然電話が鳴ったがよ。ここに電話をかけて来るらぁ何十回何百回とダイヤルせんと繋がらんがで。
それでも電話してくる暇な奴がおったがじゃ。当時京都におった料理人、よし君ぜよ。のんきな声で「神戸どうなっちゅう。」やと。
置かれちゅう状況が違いすぎて笑うてしもうた。それでもちょっと元気が出たがよ。「今から行くきー。」と、よし君。「いかん。無理ちや。皆迎えに来てくれよった
けんどもの凄い渋滞で・・・」「いや。行く。見たいき。」と、こちらも言い出いたらきかん。「ほんなら来てみいや。」というて電話をきったがよ。絶対無理やき
と、あんまり期待してなかったがよ。そしたらたまるか夜来たで。「無事かやー。」言うて。あの時は ほんまに「救われた。」と思うたねー。
 よし君、原付で来たと。ずーっと歩道を走って。なるほどその手があったか。
「あんた、よう生きちょったねー。町は戦時中みたいになちゅうで。壊滅状態や。」というて町の状況を話してくれたがやった。
その日は朝まで話をしたがよ。夜が明けてからよし君に「すまんけんど俺を伊丹空港まで乗せて行ってくれんろうか?」と聞いたら「かまんよ」と言うき
暫時、着の身着のままで原付に2人乗りで出発したがよ。
 
 町は死んじょった。瓦礫の山ぜよ。爆撃を受けたようにそこら辺で火災が発生しちゅう。家もビルも倒れてしもうちゅう。見た事も無いような動物がウロウロしゆし、
そこら辺で略奪もしよった。閉まったままのコンビニの窓ガラスを叩き割って大勢で中の物を持って帰ったり、カラオケボックスから機械を盗みゆう連中もおった。
よし君が「ひどいろうがえ。」と言うたけんどてんちょーはただ涙が出て黙っちょったがよ。

    ※以下の写真は震災後暫く経って撮影したものです。
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炊き出しを待つ人達の列
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 空港に着いたらよし君にお礼を渡してわかれた。てんちょー、パジャマで飛行機に乗ったで。みんなぁジロジロ見るけんどこっちはそれどころやないき。

高知に着いたら英雄のように迎えられたぜよ。親戚中に。けんどそれで全てが終わった訳ではなかったがよ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっちょったがよ。ひどかったぜ。まず、高知に居るのに常にヘリコプターとサイレンの音が聞こえる。揺れてないのに揺れた感じがして「地震や!」と叫ぶ。
自分だけ高知に帰って来た事が悪い事のように感じて、神戸の人にすまない気持ちになり、ご飯が食べれない。お風呂に入れない。1人で自宅の上の階に怖くて行けない。1人で眠れない。など、こんな症状が暫く続いたがやった。

だいぶ後で判ったことながやけど、てんちょー、地震の前引っ越しを考えちょったがよ。両親に家賃が高すぎ、分不相応や安いとこ住んで貯金をしなさい言われて・・・写真のマンション家賃7万5千円ながやけど2万5千円のとこに引っ越す予定やったがね。ボロボロの文化住宅やった。でもてんちょー凄い嫌で「もうちょっと待って。」いうて先延ばししよったがよ。そしたら地震が来た。1か月くらい経ってそこに見に行ったら・・もうその文化住宅なくなっちょった・・・。もし早く引っ越ししちょったら、てんちょー今存在せんかったがで。
ワガママは通してみるもんぜよ。

今日はかなり長くなった。けんどまだまだここに書けんような惨い事も一杯あったがよ。そんなん書きよったら本が1冊書けるばぁになるき今日はここで止めちょく。

高知は大地震が高確率で来る。その日の為に色々と準備をしておきましょう。
ここに必要やった、役立った物、事を買いちょくきね。
●10円玉・・・災害時は公衆電話は10円しか使えんなるきね。公衆電話は携帯よりも高い確率で繋がります。ただ最近は公衆電話の数が少ないので場所を把握しておきましょう。
●食料・水・・・おかし、缶詰など保存がきくもの。てんちょーは馬鹿やき、折角マンションの1階がファミリーマートやったのにカップラーメンを大量に買うたがよ。お湯ないのに・・・
●ラジオ、懐中電灯・・・真っ暗闇の中で恐怖を和らげてくれるものは明かりとラジオの音です。電池の予備も忘れずに!
●マスク、メガネ・・・恐ろしい量のホコリが舞い上がり、その他建築資材の粉などで暫くの間大気が汚染されたままになります。外出時マスクとメガネがないと体に悪影響です。
●自転車、スクーター等二輪車・・・災害時の移動はこれに限ります。もし自動車で県外脱出を試みると大変な事になります。途中で嫌になってもUターンは出来ないと思った方が良いでしょう。
●水のいらないシャンプー・・・買っておいて損はないと思います。
●風呂の残り湯・・・水洗便所はこれが無いと流せません。
●ろうそく点火時等、火の取り扱いに注意・・・ガス漏れが無いかしっかり確認して火を扱いましょう。タバコを吸われる方も同様です。てんちょーの近所のヘビースモーカーおやじは地震直後ガス漏れの中タバコを吸おうとして爆発。亡くなりました。
●いざとなったら線路を歩いて脱出・・・線路は汽車以外走りませんから災害時は一番すいてる道ではないでしょうか。
●マンションの人は地震後入り口ドアを少し開けておきましょう。その後の強い揺れで建物が歪んだ時に開かなくなることがあります。


復興中の神戸。ホテルオークラ神戸の客室の電気で「ファイト」
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これを見た時には号泣したぜよ。

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